PINK色の丸をくれ

 

pinkを読んだ日から、ユミちゃんがずっとわたしのミューズ
わたしの生活の中にはユミちゃんがいる

わたしはわたしのお金でわたしの居場所をつくって、可愛いもの綺麗なものに囲まれて、消費の国の消費を楽しんで、自由に生きられたら、バグって死んじゃったっていいや
昨日pinkを読み返したら、ようやくそうやっておもえるようになった

 

2015年は「ピンク色」って感じだった

色んな手を振りほどいて、どうにかこうにか一人暮らしが始まって、今ピンク色のものに囲まれて生きてる

ピンク色は、あらゆる歴史的彩りと意味の鈍重さを消毒するための色だって椹木野衣氏が言ってた
記憶喪失になるための色
だからあたしもめっちゃピンク色が好きだな

ユミちゃんは、ピンク色に染まることで自分の身体とその起源にある母親の記憶とを分離することに成功してる

自分の身体をその出自と関係なく自己で所有することができるようになれば(一定の需要があって社会の秩序を侵害しない限りで)、それを誰に・どういう形で売ろうと、そんなことはわたしの勝手なんじゃい!と言ってしまえる
ピンク色に象徴される記憶や歴史と己の出自の消毒を通じて、切り売り可能でオプションにまで還元されたユミちゃんのカラダは、貨幣を媒介にしてあらゆる「ここちよいもの」と交換可能だ
いいなぁ〜


わたしが今こうやってピンク色のオブジェで生活空間を満たそうとしてるのは、自分自身にそういう笑って切り捨てられない欲望があるからじゃないかと思った
もっともっとピンク色を集めたら、ユミちゃんみたいな潔さで、超ここちよくなれるんだろーか

来年もその先もピンク色がいい
岡崎京子性の女の魂をゲットできるように、2016年もがんばるぜい